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福岡地裁無罪判決の意義――医学的立証の限界と刑事裁判

  • 12 分前
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福岡地方裁判所は本年3月、生後約11か月の長女に暴行を加えて死亡させたとして傷害致死罪に問われた母親に対し、無罪を言い渡しました。本件の最大の争点は、被告人が故意に強い暴行を加えたのか、それとも被告人のてんかん発作に伴う落下等の事故であったのかという点にあり、医学的所見の解釈が激しく対立しました。


検察側の医師、特にこれまでも検察側証人として何度か法廷に立ってきた脳神経外科医のB医師は、受傷後約2時間で脳幹・小脳を含む著明な脳腫脹が生じていること、大後頭孔付近の骨折、後頭部の皮膚変色、脳幹部の橋出血や網膜出血などを根拠に、後頭部下側への強い外力、さらには複数回の暴行があったと主張しました。特に、大後頭孔という厚い骨が骨折している以上、強い外力が必要であると述べ、皮膚変色も打撲痕であると評価しました。


これに対し弁護側医師らは、脳腫脹の進行速度や程度から外力の強さを推定することはできないと指摘しました。家庭内の比較的弱い外力でも早期に脳幹腫脹は生じ得るとし、大後頭孔の「骨折」に見える所見も、乳児特有の未骨化軟骨結合(PIOS)の裂開にすぎない可能性を具体的に示しました。また、後頭部の皮膚変色は長時間仰臥位で搬送・治療された経過から褥瘡の可能性があるとし、橋出血や網膜出血も頭蓋内圧亢進による漏出性出血で説明可能であると反論しました。また、B医師が重視した脳腫脹は、低酸素脳症として説明できることも明確に指摘しました。


判決は、これらの対立を個別に検証しています。脳腫脹から直ちに「強い外力」を導く検察側の推論には検証可能な根拠が十分示されていないとし、CT画像の具体的分析からPIOSが未骨化であった可能性を認定しました。皮膚変色についても、治療医の診療記録に明確な打撲痕の記載がないことなどを踏まえ、写真のみで打撲と断定することは困難と評価しました。そして、B医師の証言について、「B医師は、受傷後早期に脳幹等がこれほど腫れるのはこの付近に強い外力が加わったとしか考えられない旨証言するものの、強い外力が加わると短時間で脳が腫れるメカニズムについては、医学的な説明をすることは難しいと述べるにとどまり、検証可能な理由が示されているわけではない。また、B医師は脳神経外科医として豊富な経験を有しているものの、B医師にとっても本件は特異的な事例である旨述べ、過去に本件同様ないし類似の症例、すなわち後頭部に強い外力が加わったことで脳幹等が早期に著しく腫脹するような症例を相当数経験し、そのような症例と比較検討しつつ考察したというわけでもない。そうすると、B医師の証言は、弁護側医師の見解を覆せるほどの根拠を示せていないといわざるを得ない」としたのです。B医師の証言の根拠が不十分であることを明確に指摘したものと言えるでしょう。


その結果、被害児の所見はいずれも、後頭部の出っ張り付近を「一度、それほど強くない力で打つ」ことでも矛盾なく説明し得ると判断され、てんかん発作に伴う事故の可能性を排斥できない以上、故意の暴行を合理的疑いを超えて認定することはできないと結論づけました。


本件の弁護人はSBS検証プロジェクトのメンバーではありませんが、プロジェクトのメンバーが資料・文献面で協力しました。本判決は、医学的知見に幅がある領域においては、その不確実性をそのまま証明責任の枠内で評価すべきことを、具体的証拠の吟味を通じて示した判決といえます。

 
 
 

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